プラン・ベトナム視察報告
〜プランってなんだろう?〜
長年、スポンサーを続けてきたにも関わらず、お恥ずかしい話、プラン・ジャパンとプラン・インターナショナルが、現実的、なお具体的にどのような活動をしているのか、きっちりと把握し理解することなく、時間が経ってしまいました。
この度、プラン・ジャパンの評議委員に推薦を受けたことを機会に、一度、スポンサーとは何なのか? プランの活動とは何なのかを、はっきりと理解しようと考え、海外の現地、現場で何が行われているのか? その結果、現地とそこに住む人々に何が起こるのかを、自分の目で見てみようと考え、一つの視察旅行を提案させていただきました。百聞は一見にしかず!です。
まず、一つの地域でプランの活動が入る前と、活動が終了した状態を見ることが出来れば、プランの実際の活動内容を理解することが出来ると考え、タイミング良く、ベトナム北部に、まさにこれからプランが入ろうとしている地域と、まさに活動を終了し撤退の準備に入った地域があると聞き、私のチャイルドもそのすぐ近くに居住しているということで、視察の場所が決定しました。
最初に到着したベトナム・ハノイの国統括事務所で、ベトナム全土のプランの活動について説明をしていただき、早速、ハノイ市内での活動視察に出発しました。
まず、自立プロジェクトの一つ。学業未習熟や貧困のせいで、仕事にありつけない少年たちの職業訓練と、作品販売の実践を兼ねた、石材を使った工芸品の制作訓練所で、懸命に制作に取り組む少年少女たちに会いました。市内の工芸品の店や飛行場の土産物売り場でも作品を見かけました。
ドイツのプランが、ドイツ国内で彼らの作品の売店を持っているという話も聞き、指先が器用でアートに興味がある少年少女にはベトナム独特の技術習得になる、ユニークな施設に感心しました。
これとは別に、際立って素晴らしいアイデアに驚いたのは、ベトナム・プランの代表であるディーパリさんの発案による、貧しい少年少女のための生計向上のための速成ビジネス・スクールとでも言えば良いのでしょうか、LABS Model という職業訓練所の存在を知ったことです。
現在、様々な分野で人員を必要としている企業や店の調査をし、ニーズに合わせたコース設定で、短時間で若者を訓練し、即戦力の人材として市場に送り出すというやり方で、実際に人材を必要としている企業のスタッフが講師として指導するなど、実践的でユニークなアイデアに感心しました。
実際、そのスクールを終了した若者たちが働くハイランドコーヒー(レストラン喫茶)というチェーン店で、食事をしながら話を聞いたのですが、ウェイター、ウェイトレスに終わらず、一店舗のマネージャーから地域統括のマネージャーに昇格するチャンスまである事に、喜びを感じながら働く姿を見ました。この他にも、ウェブデザイナー、グラフィックデザイナー、データベース技術者、会計、電話オペレーター、一流のホテル・スタッフ、スーパーマーケットなどなど、様々な分野で活躍しているそうです。
さて、いよいよ本命の、プランによる子どものための地域援助の視察ですが、これからプランが入ろうとしている地域をA、プランの活動が間もなく終了する地域をBと呼びます。このA地域とB地域は、ベトナムの目ざましい発展にも関わらず、その全ての発展から取り残されてしまったベトナム北部の村の一つです。
A地域では、この村にもいよいよプラン(救済する人々のように認識されているようです)がやって来る、という期待と希望を持った人々が大勢出迎えてくれました。出迎えるというよりは、陳情のために集まってくれていた、と言ったほうがふさわしいでしょうか。このA地域は山間部に属し、耕地面積も狭く、更に水不足など自然条件の悪さから、代々貧困をよぎなくされ、またその貧困ゆえに、川一本隔てて、広大で豊かな発展をとげる地域の人々から差別といじめを受けるなど、発展の恩恵から取り残されてしまった少数民族です。
集会所の一部屋には大人が集まりましたが、女性と老人が目立ちます。男性は遠方へ泊まりがけで出稼ぎに行っているとのことでした。全ての人が、食料の不足と、経済的困窮と、様々な疾病を訴えています。
隣の部屋で開かれた子どもたちの集会では、貧困ゆえに小学校を退学せざるを得ない子どもたちの訴え「私の家は貧しいので小学校へ行くことが出来ません。私も学校へ行きたいです・・・。」と静かに訴える少女の言葉に、胸が張り裂ける思いでした。また、貧しさゆえに、6キロ以上歩いて通う学校で差別され殴られる話。などなど・・・。
現在の日本では想像したり感じる事が出来ない窮状を目の当たりにし、正直、言葉を失ってしまいましたが、湯川理事の「日本も戦後、何も無い状況から今日の発展を成し遂げた。夢は必ず実現する。君たちも夢を失わないで。一緒に頑張ろう。」という言葉に、子どもたちの顔から笑顔が、目からは涙があふれました。
集会後、集落の何軒かを突然訪問させていただいたのですが、子どもを抱えた若い母親が、部屋の隅のわずかな米を指し「私が主人と作ったお米です。水牛を借りるお金が無いので、手で耕しました。これで三ケ月くらいは食べて行けます。主人は百キロ以上離れた所へ出稼ぎに行っていて、上手く仕事があれば、一月30ドルくらい送ってくれるので、それでなんとか食べています。」
「新聞もテレビもないので、子どもたちが村の外の社会や世界の情報を知る事が出来ない。いつかテレビを見せてあげたい。」
「村には水がないので、毎日2キロ離れた井戸へ水汲みに行く。」
「村にはトイレが一つもない・・・・」
貧しいので学校に行けず、近くの家の水牛の世話をしている少女、
家畜飼育の知識がないため、大切な家畜を死なせてしまった人、
などなど、現在の日本では想像出来ない現実の窮状に一歩を踏み入れた事で、私のように鈍感な人間でさえ、なんとかならないものか、なんとかしなければ!・・・・と強く感じました。
この思いが、現在のプランの活動の出発点になる動機なのだと理解しました。
村の子どもたちに見送られた帰りの車の中で、ベトナムのプラン・スタッフに話してみました。
「子どもたちの声も、大人の声も、SOSの信号のように聞こえました。すぐにでも手当てしないと・・・・と思うのですが、早急な活動は出来ないのですか?」
答えは、「私たちも同様に感じていますが、これまでの経験から、一時の資金や物の援助ではなく、彼らが自立して、自分たちの手で望みを勝ち取る事が出来るよう、まず何が必要なのか、何から始めるべきかを、村の人々と徹底的に話し合い、調査して、子どもたちの健康で安全な成長のため、持続可能な児童教育、保健衛生、農業など、村の発展のため、絶対に失敗のない計画を立て実行しますから、今日子どもたちに会い、村の人々から話を聞いて感じた事を大切に、今はグッとこらえて、確実な次のステップに入りましょう!」と云うものでした。
せっかちな日本人としては、すぐにでも何か出来る事があるのではないかと考えてしまいますが、拙速な応急処置で、物や機械や金銭を提供し、それが壊れたり途絶えたら後は知らんふりの、これまで多くの支援団体が繰り返してきたやり方ではだめなのだ。彼らが挫折、中断する事なく、子どもたちのために、持続して、成長、発展できる環境創りを計画、実行する。その知的、物質的サポートが、プランの活動なのか・・・・と、ようやく理解出来てきました。
翌日は、約10年間プランの協力を得て、自立可能地点まで、ほぼ目標の成長と発展を成し遂げ、間もなくプランの活動が撤退を始めるというB地区を訪ねました。
まず、地区代表の方から、具体的数値を示しながら様々な発展経過の説明報告と、プランの活動に対する感謝の言葉をいただきました。
長期にわたる活動の経過を、数値を示して説明出来るという事は、かなり綿密な計画と実行と記録がある証しだと感じました。
例えば、きわだって成功した児童教育の現場では、最初数10%の途中退学者を出していた小学校の就学率が、100%の就学率になったこと。大人に対する栄養や保険、衛生などの知識伝達(教育)の成功により、子どもたちの健康な成長を確保する事に大成功した事。村人への農業指導の成功により、野菜収穫量の増加と品質向上に成功し、ビジネスとしての農業が発達し、村の発展につながっている事、などが次々と報告され、無知な私にも、ようやくプランの綿密な活動と活動の仕方が具体的に見えてきました。
私たちが訪問した保育施設では、栄養学にのっとったメニューを日替わりで母親たちが料理し、元気な子どもたちがおかわりを繰り返していました。
小学校では、定期的に開かれる、子ども主催の子どものための討論会も見せてもらいました。
「学校で先生から教えてもらった、エイズに対する正しい認識と対処の方法を、自分の両親にも教えてやった。」など、実にユニークな話も、子どもたちから聞かせてもらいました。
また、自分たちの学校の変化について、充分な教材がそろった事、また緑が豊富なグランドに成ったことが気に入っている事、また、ここ何年か両親の子どもに対する対応と態度が変わった事など、子どもたちを中心に据えた、子どものための環境づくりを始めた両親をはじめ、地域全体の大人たちの行動と姿を、子どもたちが正確にしっかりと見て認識している事が良くわかりました。
この地区のあちこちで、体罰禁止キャンペーンのポスターを見ました。子どもたちから公募し、選ばれたデザインで、思わず目が留まる絵と「体罰は子どもを壊してしまう。子どもを育てるのは愛だ。」と書かれたすばらしいデザインと、このような活動にも感心しました。この地区以外の場所でも、同じポスターを見かけましたが、世界中に公開したいグッドインパクトです。
この地域で最初からプランの活動をしてきた村の男性に、「プランがこの地域に入る前と、活動がほぼ完了しつつある今日と比較して、一番変わった事は何か」を聞いてみました。
「当初この地域には、出産や子どもの成長と栄養、保険、衛生、教育に関する知識、疾病に対する知識、農業や村の発展のための知識や方策など、有りませんでした。しかし、この10年でそれを学び、実行、実現する事が出来ました。
なにより最高の発見は、子どもは私たちの未来であり、地域の未来であり、国の未来である事を知った事です。」
子どもは、労働、仕事の道具の一部分程度の認識であった大人たちの意識が、ここまで成長変化した事、子どもを中心に据えた環境、地域づくりをモットーにする、プランの精神の核心にまで到達した事に感動し、僕は、この言葉に胸が熱くなりました。
16年前、禁煙の記念に、わずかなタバコ代をプランにカンパしようと決めて、スポンサーなどと言われるのは恥ずかしい、本当に軽い気持ちでやってきたのですが、そんな小さな気持ちがこんなにすごい支援のために本当に役に立っているのだ!とわかると、本当にうれしくなってきました。
さて、いよいよ、スポンサー・チャイルドとの面会ですが、これは言葉にならない、喜びの出会いと、連続した心のふれあい、そのものでした。
お父さんを亡くし、現在16歳。ボー君。中学を卒業して、家具職人の修行のため、遠くの街へ住み込みで出ているのですが、僕に会うため、わざわざ帰ってきてくれました。元気で聡明な少年・・・家を離れて、不安やつらい事もあるだろうけど・・・君の成功を楽しみにしているから、頑張って、ベトナムで一番の職人さんに成ってね!・・・・・はい!・・・・。
あとは、お母さんと、おばあちゃんと、おじいちゃん、皆で手を取り合ったまま、優しい温かな時間が過ぎてゆきました。プランの活動と、僕の訪問を本当に喜んでくれているのが手の温もりでわかりました。
この子の、この家庭の、わずかでも心の支えになっているのかな・・・・
この地域の多くの子どもたちの健康な成長と、地域の発展の、皆の素晴らしい未来創りの、少しでも本当のお手伝いになっているんだ・・・・!
これが、プランか・・・・・!
子どもは私たちの未来。地域の未来。国の未来。世界の未来・・・・・
子どものための村創り、国創り、世界創り・・・私たちの未来・・・。
大人が、物と便利さのみを求めるあまり、欲望の歯止めになる良識、良心というブレーキを壊してしまった、先進国とよばれる地域の一員として、忘れかけていた、人として最も大切な事。子どもは私たちの未来という事。その子どもたちの安全で平和な成長と未来を中心に据えた、プランの活動を通して、本当に大切な事を教えられ、その素晴らしさを心と肌と全身で感じ、理解する事が出来た、素晴らしい視察の旅でした。
この感動をもっと多くの人に知っていただき、この熱い感動を生む支援の輪が、もっと強く大きく成長する事を願わずにはいられません。
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